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Coup Franc!

「恋旅」音楽集。いやあいい曲だ

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2着のユニフォーム 

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105回を数えるローヌダービー。同一都市内に複数のリーグ1クラブを抱える都市がなく、ダービーの意識が他国に比べて希薄なフランスにあってリールとRCランスのノールダービーとこのローヌダービーだけは例外的に「真のダービー」と呼ばれます(不思議な事にコルシカダービーは言われない。サッカーを越えて危険だから?)。

それだけに両者の対立は激しく、両方の都市に草鞋を脱いだ選手はこれまでの歴史で32人しかいません。これは80年台に覇権を争っていた名門同士、ボルドーとマルセイユでは80人以上が2着のユニフォームに袖を通し、OMとPSGの間でさえ52人の前例がある事と比較すれば、いかに少ない数字かお判りいただけるかと思います。

「禁断の移籍」最初の成立は1959年、カメルーン人FWユージェン・エンジョ・レアがASSEからOLに移籍した事例。その後も少数の移籍が行われた後、1978年、ベルナール・ラコンブがリヨンからASSEに移籍します。これは当時経営危機に陥っていたOLの建て直しに必要な移籍だったとされていますが、その後ラコンブはOLサポーターから激しく憎まれ、1年でボルドーに移籍、引退後OLを買収したオラス会長に招かれ相談役となるまで彼はリヨンに来る度に激しいブーイングを浴び続けました。その後もリヨンからローラン・フルニエが、ASSEからはグレゴリー・クペが経緯は色々あれど宿敵のクラブに籍を置くことになります。

現在リヨンにはゴミス、ダボが、ASSEにはジェレミー・クレマン、フランソワ・クレールがユニフォームを替えてダービーに臨みます(直接移動したのはゴミス一人ですが)。4人共にレギュラーポジションを掴んでいる今回、会場のブーイングもより音圧の高いものになるでしょう。そのプレッシャーに打ち勝った側が勝利を得ます。

最後にOLユース出身ながら昨季3週間だけASSEに在籍したマルブランクの言葉を。

私はヴェールとの契約書にサインした時、自分の選択は正しいと思っていた。しかしすぐにこの決定が過ちであると気づいてしまった。私はサンテティエンヌの禄を食む事だけはしてはいけなかっったんだ。それに気づいてしまった時、私はあそこにいる理由がなくなった

category: サッカー

thread: フランス・リーグ1 - janre: スポーツ

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